激しい競争社会に疲れた人へ






ある国では不幸にも戦争に巻き込まれて命を落とす人がいる。




ある国では産まれたときからハンデを背負い、運命を呪う人がいる。




我が国、日本は平和だ。なんて言うが、それこそ「学歴」「コミュ力」そんなもので天秤に掛けられ、片方は勝利し、片方は敗北する。
1位がいて、最下位がいる。場合によっては死に直結することもある。



そしてこの事は誰しも産まれる前から平等に、誰にでも当てはまる事である。




みんなが思った通りになる社会は遠い未来の事かもしれない。







例えば僕、現代の人間の競争社会に勝てず、来世は水樹奈々が使う生理用ナプキンに産まれ変わりたいと言うとする。




だが、考えてもみよう。

数ある物質の中から生理用ナプキン、それも水樹奈々が生涯に使用する限られた内の一つに入る確率なんて、いくら逆立ちしても届かないようなそれこそ果てしなく0%に近いような確率である。



さらに言えば今、水樹奈々に使われている生理用ナプキンは、自ら達が望んでなった未来ではないのかもしれない。

人間に産まれるのと違い、生理用ナプキンに産まれたら後はみな、同様に確からしい確率で誰の元に渡るのかを決められ、それは努力でどうこうなる問題などではない。




だが、もしも、それらを越えて、思い描いた通りの道に選ばれる可能性があるとしたらそれは、それぞれの″想い″の強さだろう。

確固たる意思を持ってこそ、確率の壁をも凌駕し、引きつけ合うことも起こりうるかもしれない。




どんな物に産まれても、どこの世界に産まれても、激しい競争を勝ち抜いた者だけが生き残れる。




人に産まれた我々はみな、自分の意思を持ち、行動することができ、その手その足で努力することができる。









今できることに必死に食らいつこう。